SMH

Nishinomiya, Hyogo/Apr. 2001
 以前勤めていた東北の設計事務所で担当したバリアフリー世界協議会の出展建物を、実際の介護現場で指揮をとるクライアントが見学に来たのは1996年の秋口だったと思う。その場で設計者が考えるバリアフリーと介護現場が求めているバリアフリーとの差について手短に指摘を受けた。本当に短い時間だったのだが、僕はそれにかなり大きなショックを受けたことを、今でもよく覚えている。
 それから、数ヶ月後にその事務所を辞め、方々巡り巡って1997年 神戸で独立する事の挨拶を、まだE-mailも何もない頃にハガキで送った。しばらくして、西宮で家を建てるのでその設計を依頼するといった内容の返信が届いた。独立して初めての仕事だった。
   手紙でのやり取りを通してクライアントから建物に求められた事は、「1.建物に気軽に訪れられる事 2.建物を簡単に維持管理できる事 3.のんびりと時間を過ごせる事」だった。そして、禅問答のようなやり取りが続いた。どこまでも具体的なことは書かれていない。どこまでも考え、調べ、想像するしかない。
 色々と考え、まとめあげた結果は3つ。それを持ってクライアントの住む東北へ向かった。一つ一つ丁寧に説明をしたつもりだった。しかし、全ての説明を終えた時点でクライアントからは何の質問もなく、「では、最初の案でお願いします」と言われた。正直、拍子抜けしてしまった。なぜ、何も質問が無いのかと聞くと、「私は、建築のプロじゃないのでわからない。だから、設計を依頼している。その設計者が一番一生懸命説明したのが最初の案だったので、たぶんそれが一番良いのだろうと思った」と。 驚いた。確かに、その案が一番良いと思っていた。
 驚きはこれで終わらなかった。何度か打ち合わせを行い設計を終え、地鎮祭、上棟式と順に進め、竣工式前の施主検査での事。ほぼ出来上がった建物を見て回り終えた時に「私は、特に期待していませんから」と。流石にこの言葉には、凹んだ。しかし、その言葉の本当の意味は、「過度な期待は、失望を招く」という事だった。
 以前住んでいた家のトイレのスイッチは、扉を開けてすぐ左手だったかもしれない。それは、体が覚えているので今度の新しい家でも同じようにスイッチを探すかもしれない。しかし、仮にそこにスイッチがなくても、何の問題もない。そんなことは、期待していないから。  だから、この新しい家でこれからの新しい生活を楽しみにしている、と。
Photography:E.Kitada

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